今回は少し哲学的な話になりますが、難しく考えなくても大丈夫です。「なるほど」と思ってもらえるようなお話です。
鈴木孝夫さんの『日本語と外国語』という本に触発されて、今回の話を書いています。この本の中で鈴木氏は、日本語の文法分析が、英語やフランス語といったインド・ヨーロッパ語族の分析方法を参考に始まったことを指摘しています。つまり、日本語の文法や表現も、主語や動詞、目的語といった欧米の言語学の枠組みで研究されてきたのです。しかし、果たしてこのような欧米流の分析手法が日本語に本当にふさわしいのか、疑問があるといいます。
また、より広い視点で見ると、私たちの日常の原則や考え方の多くも欧米から伝わってきたものが少なくありません。普段は当たり前だと感じていることも、このような欧米の考え方や新しい視点と比べることで、初めて自分たちの日常との違いに気づき、そのずれを見つけられるというのです。
例えば、いつも使っている社内システムや日常のマネジメントも、順調に動いているだけで「特に問題はない」と考えてしまいがちです。
しかし、外部の異なる視点や考え方と比較してみると、初めて「どこが良い点で、どこに改善の余地があるのか」が分かります。このように、普段のやり方を別の基準で見直すことで、新しい発見が生まれるのです。
このように考えると、多くの気づきや発見は「相対的な比較」から生まれていることがわかります。例えば、「早い」「遅い」「美しい」「暖かい」「冷たい」といった言葉も、私たちが持っている何らかの基準と比べて使っています。しかし、もしその基準自体が変われば、「早い」と感じていたことが実は「遅かった」と気づくこともあるのです。
「これまで何の問題もなく、順調に物事が進んでいる」「一度もトラブルがなく、とても安定している」「長年使っているが、特に問題を感じたことがない」といった状況は、私たちの身の回りでもよく見かけるものです。
しかし、全く問題がないと思っていることでも、もし新しいフレームワークや基準が現れたら、「問題ない」と思い込んでいたことが、実は問題だと気づくこともあります。異なる基準や考え方を取り入れ、いつもと違った視点で物事を比較しながら考えると、新しい発見が得られるかもしれません。