■「実学」
稲盛和夫さんの「実学」という本を知っていますか。私は、もう20年以上前に読んだ本です。当時、稲盛さんはすでに京セラの会長として大成功した経営者で著名な方でした。
この本はネットやビジネス雑誌で、当時、数多く紹介され大変高く評価されていました。稲盛さんといえば、「アメーバ経営」などでも有名で、いわゆるマネジメント会計に明るい方です。
私は、この本が雑誌などで推薦されていたこともあり、単なる好奇心から購入しました。ですから、正直、最初はさして期待もしていませんでした。あの有名な大経営者である稲盛さんが、どんな経営理論を語るのだろうかと思っていました。
本は、キャッシュベース経営など会計の分野を中心として記述されていました。しかし、本を真ん中ぐらいまで読んだときに、「え!」と思うようなことが書いてあり、そのことが、今でも強く印象に残っている本です。
■「一対一の対応」、「ダブルチェックによって会社と人を守る」
私が今でも強く印象に残っている箇所は、「一対一の対応」と「ダブルチェックによって会社と人を守る」という箇所でした。私は当時、海外で8年間CFOとして勤務したのち、日本の外資企業の立ち上げを管理部門の責任者として引っ張っていました。
立ち上げ当初の会社には、ルールもなく、就業規則や賃金規定、育休、経理規程を次々に作成しては、経営メンバーに丁寧に説明して、納得してもらうという日々でした。特に、伝票をいちいち書くことについては、経営幹部も含めて、多くの社員に強い抵抗があり、いつも新しい制度の導入の壁になっていました。その時に当時の私を後押ししてくれたのです。
そこには、経営者として「社員を守る」という稲盛さんの哲学がありました。「一対一の対応を貫く」というのは、モノまたはお金と伝票が、必ず一対一の対応を保たなければならないというものです。
これを徹底することにより、不正を防ぎ、社内のモラルを高め、社員一人一人の会社に対する信頼を強くするというのです。
これは社員にとってはとても面倒なことです。モノを動かそうとするたびに伝票を起こして、承認を得て初めてモノを動かせるのです。
さらに、「ダブルチェックによって会社と人を守る」とは、一人ですべてができるようになっていてはならないというものです。
そして、その根底には、「社員に決して罪をつくらせない」という思いやりが経営者の心の中になくてはならないと主張されているのです。
ですから、大金庫の鍵と現金箱の鍵は違う人が持つ、お金を出し入れする人は伝票を起票してはならないということです。これも社員にとっては、一見面倒なことに思えます。
しかし、稲盛さんは、真に社員の幸福を願っており、そのために不正ができるような環境は経営者として決して作ってはならないと強く訴えています。
誰でも出来心や、ふとしたスキがあり、いつ何時、不正をしてしまうかわかりません。もし、不正をしてしまうと、その社員が不幸になるというのです。
そして、私はこの点に強く共感し、その後の組織立ち上げや改革の際に自分の考えの根底になりました。
ですから、伝票の起票も、たとえ面倒でも必ずやる、それは、盗難や不正を防いで会社の財産を守るためではなく、社員を守るためだと経営陣や社員に説明できたのです。また、不正が起こるのは、社員のせいではなく、そうした仕組みで仕事をさせている会社が問題だと話をすることができました。
おそらく、これを読んでいらっしゃる多くの方々は、既にルールやシステムが整った組織の中で仕事をされていると思います。もしそうであれば、普段何気なく伝票を書いたり、承認をもらったりしていることは、「社員を守る」という哲学をもとに作られているのです。
ですから、面倒と感じる申請書や伝票でも、こうした哲学のもとに構築されているということを再認識し、部下へも伝えていくことです。